文化人類学者で東京工業大学リベラルアーツセンター教授の上田紀行さんの『人生の逃げ場』を読んで、大きな感銘を受けたので、他の著書も読んでみました。とても良いのでベットサイドにおいて寝る前に繰り返し読もうと思います。
今回、読んだのは『生きる覚悟』です。あまりに重たいタイトルにちょっと読むのをためらわれましたが、震災直後に書かれたものなのですね。では、内容紹介させていただきます。本当に読んでよかったですので、皆さんにもオススメしたいです。
『生きる覚悟』内容紹介。
モノには満たされても精神的には満たされず「生きる意味」が問われていた中で、地震・津波だけでなく原発禍まで引き起こした東日本大震災は、地域や人々との絆・つながりの大切さを改めて気づかせました。また、「得」を追いかけ過ぎたゆえに「徳」を忘れた日本人に、生きていく上で何が重要なのかを突きつけました。ただ漫然と流されて生きるのではなく、自らの内なる“心幹”を太くし、「覚悟」を持って生きることの大切さを問いかけます。
あれ?自分の幸せって、いったい何だったっけ?
序章にこんな文章が出てきます。
人間は幸せになるために生きている。では、あなたにとって幸せとは何ですか?
あれ?あれ?あれ?とても簡単な問いのように思えるんですが、スッと答えられないですよね。「幸せ」って自分が健康に何事もなく平穏に過ごせていればいいんでしょうか?何か違うような気がしますし、そこが一番問題なんでしょうね。
村上春樹氏のスピーチに我々は何を思うのか?
2011年6月9日にスペインのカタルーニャ国際賞受賞のスピーチを引用します。
我々日本人は核に対する『ノー』を叫び続けるべきだった。それが僕の意見です。
我々は技術力を結集し、持てる叡智を結集し、社会資本を注ぎ込み、原子力発電に代わる有効なエネルギーを開発を、国家レベルで追及すべきだったのです。たとえ世界中が『原子力ほど効率の良いエネルギーはない。それを使わない日本人は馬鹿だ』とあざ笑ったとしても、我々は原爆体験によって植え付けられた、核に対するアレルギーを、妥協することなく持ち続けるべきだった。核を使わないエネルギーの開発を、日本の戦後の歩みの、中心命題に据えるべきだったのです。
それは広島と長崎で亡くなった多くの犠牲者に対する、我々の集合責任の取り方となったはずです。日本にはそのような骨太の倫理と規範が、そして社会的メッセージが必要だった。それは我々日本人が世界に真に貢献できる、大きな機会になったはずです。しかし、急速な経済発展の途中で『効率』という安易な基準に流され、その大きな道筋を我々は見失ってしまったのです。
そしてスピーチはこう続きます。
前にも述べましたように、いかに悲惨で深刻なものであれ、我々は自然災害の被害を乗り越えていくことができます。またそれを克服することによって、人の精神がより強く、深いものになる場合もあります。我々は、なんとかそれをなし遂げるでしょう。
壊れた道路や建物を再建するのは、それを専門とする人々の仕事になります。しかし、損なわれた倫理や規範の再生を試みるとき、それは我々全員の仕事になります。我々は死者を悼み、災害に苦しむ人々を思いやり、彼らが受けた痛みや、負った傷を無駄にするまいという自然な気持ちから、その作業に取り組みます。晴れた春の朝、ひとつの村の人々が揃って畑に出て、土地を耕し、種を蒔くように、みんなで力を合わせてその作業を進めなくてはなりません。ひとりひとりがそれぞれにできるかたちで、しかし心をひとつにして。
その大がかりな集合作業には、言葉を専門とする我々=職業的作家たちが進んで関われる部分があるはずです。我々は新しい倫理や規範と、新しい言葉を連結させなくてはなりません。そして、生き生きとした新しい物語を、そこに芽生えさせ、立ち上げなくてはなりません。それは我々が共有できる物語であるはずです。それは畑の種蒔き歌のように、人々を励ます律動を持つ物語であるはずです。我々はかつて、まさにそのようにして、戦争によって焦土と化した日本を再建してきました。その原点に、我々は再び立ち戻らなくてはならないでしょう。
すごく熱いスピーチですが、これを読んで僕たちは何を思うのでしょうか?
ここに『生きる覚悟』を読んで行動できるかどうかの分岐点があるように思います。ただ漠然と流されて、周囲に同調して生きていくのではなく、心根を太くして「覚悟」を持って生きていかなくちゃと思わせてくれる本です。
合わせて読みたい「上田紀行さん」の本。
パッとしない私が、「これじゃ終われない」と思ったときのこと 「生きる意味」のつくりかた
- 作者: 上田紀行
- 出版社/メーカー: 幻冬舎
- 発売日: 2015/04/22
- メディア: 単行本
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